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62. 非日常の出来事と日常の経験

ニューヨークのラガーディア空港からセントルイスに旅した時のことです。 午前10時のその便の搭乗口は大騒ぎになっていました。オーバーブッキングで席の取れない人が20人以上もいたのです。 航空会社は、不参客を見越して定員を超えた予約をとるようですが、アメリカの国内線は、そのために乗れない人が出るのがしょっちゅうです。 「別の便に変更してくれる人はいませんか」 繰り返しアナウンスが流れます。変更になると、航空券のクーポンや空港内での食事券がもらえます。急ぐ必要のない人は、「じゃ、変更します」と進み出て、さっさとクーポンを受け取り、食事券を握りしめてレストランに向かいます。 たいていは、数時間以内に同じターミナルから次の便が出るので、それでことなきを得ることが多いのですが、その日は、変更しようにも、別便がありませんでした。「夜まで待って、2都市を経由して明朝到着できる便」か、「バスで別の空港(JFKインターナショナル空港)に行って、1都市経由して夜中に着く便」があると言われて、じゃあそうしますという人はそこに一人もいませんでした。 アナウンスは、実はあと1席残っている、と言います。一人の十代の女の子が 「夕方、おばあちゃんのお葬式があるの」と涙声で叫びました。「ではあなた、乗りなさい」ということになり、彼女は機内に招き入れられ、最後の席が埋まりました。途端にブーイングです。「嘘つき!」「夕方から始まる葬式なんてあるわけない!」。口々の文句をよそに、 機体のドアは閉まり、行ってしまいました。 係員は、わたしたちをなんとか捌かなければならず、別の航空会社に電話をして、空きのある便がないかどうか尋ねています。その間、別の係員が繰り返し、一人一人の名前を呼び、生年月日を叫ばせて、乗客情報の確認をとっています。 誰もが、人前で、自分の生年月日を大声で叫ばなければなりません。それも何度も。すると、わたしと全く同じ日に生まれた女性が人混みの向こうにいるではありませんか。彼女もほぼ同時にわたしの存在に気づいたようで、わたしたちは、自然に近づいて声を掛け合いました。背の高い白人女性で、一人暮らしのお母様を一ヶ月に一度訪ねているのだそう。 「あの係員のやり方では拉致があかないわ。自分たちでやらないと」 と言って、携帯電話で、別の航空会社に自ら連絡をとりました。手短に事情を説明し、セントルイスへの直行便と可能な席数を尋ねます。そして、 「この電話とってちょうだい。アメリカン航空よ。午後6時に直行便があって、8席も空いているって」 係員に携帯を手渡しました。 彼女の機転によって、わたしを含む8人が、その便の搭乗券(搭乗券をもらえる保証書)を手に入れることができました。 こういう場面は、アメリカでは珍しくありません。システムに頼らず、自分の力でその場を切り抜けることが。あるいは自分からシステムに働きかけて、ことを動かしていくということが。 もうお昼を過ぎていました。皆、お腹が空いています。8人のうち5人は、食事券でのランチにダッシュしていきました。ただ、わたしと彼女、エミリーと、エミリーの行動に惹かれてそばに来ていた、わたしたちより16歳若いジョン(生年月日を皆覚えてしまうほどだったのです)の3人は、「これでホッとするわけにはいかないね」と同意し、まずはアメリカン航空のターミナルに移動し、搭乗券を手に入れてしまおうということになりました。 シャトルで移動し、チェックインカウンターに行くと、なんということでしょう。「そんな話は聞いていない」「あなた方の名前はどこにも出てこない」の一点張りなのです。 その時、ジョンが言いました。 「僕たちは、9時から4時間以上頑張ってる。やっとここにたどり着いたんだ。君は、僕たちのために立ち上がってくれないかな。協力してくれないかな」 この一言で、その若い女子は、急に生き生きとし、背筋が伸びて、「やって見ます!」と、カウンターを飛び出して行きました。 そして、搭乗券を三枚、手にして戻って来たのです。「ありがとうと言うのはわたしの方」と言いながら、手渡してくれました。「わたしの立場で上に掛け合うなんてことしたこともなければ考えたこともなかったわ。本当に望めばできるんだってわかった。教えてくれて感謝しています」 彼女は日頃、「やらされている仕事」をしているのかもしれません。今日は、「自ら進んでプロジェクトをやり遂げた」達成感を得ているのかもしれません。 そのような機会を彼女に差し出したジョンはあっぱれです。 午前9時に空港に到着したエミリーとジョンとわたしは、午後5時、搭乗口近くのバーで夕陽を眺めながら乾杯しました。エミリーは、今頃は、セントルイスのお母様とレストランに向かっている所のはずでした。ジョンは、今日のビジネスミーティングを終えているはずでした。わたしは、セントルイスの美術館を楽しんだ後、『奇跡のコース』のカンファレンスのオープニングに出席しているはずでした。でも、わたしたちは、今日という日を無駄にしたとは感じていませんでした。 自分たちでこの夕方の乾杯を導いたという満ち足りた感覚、航空会社の犠牲にはならなかったという喜びを分かち合っていました。 さらには、わたしたちの便がセントルイスに着く時、雨がちょうど上がったところで、空港を取り巻く平野に、完全なリングになった世にも珍しい虹を見ることになったのです。祝福の虹だねと言い合いました。 わたしたちは、「それぞれニューヨークに戻ったら、また乾杯して旅の報告をしあいましょう」と約束し、それぞれにタクシーに乗ってお別れしました。 この日の出来事は日常的なことではありませんが、受け取ったこと、経験したことは、まさにニューヨーカーの日常です。このような、ちょっとした積極性で物事は進み、このような協力を通して友人ができるのです。エミリーとジョンとは、時々再会の集いをしているし、エミリーとは、誕生日おめでとうと祝い合っています。


( 初出誌 Linque Vol. 63 発行 : 国際美容連盟 2019年1月)



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