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76.「癒す」という仕事


ヒーリング、という言葉を背負った職種でなくても、「この仕事を通じて人を癒していきたい」「自分自身も癒したい」ということがあると思います。必ずある、と言っていいかもしれません。

自分の働きかけによって誰かの問題が消えたり、気持ちが晴れわたったり、そこにあった欠落が埋められたりするならば、自分の中にも、明るい光が生まれるように感じるはずです。 メイクアップでも、ファンデーションのひと刷で、肌のくすみや窪みが消えて顔に生き生きとした輝きが宿る時、まるで過去の年月のあれこれのこだわりも一緒に飛んでいってしまって、若き日のスタート地点に舞い戻ったような気分になることもあるのではないでしょうか。それは、間違いなく、癒しではないでしょうか。

その人の顔が表面の変化とともに、内面の華やぎを映し出すのを目撃するとき、メイクを施す人の顔にも、「やった!」という心の中の弾けるような喜びが浮かぶに違いありません。 「色白に見せようとしなくていい」「シミを隠そうと思わなくていい」といった、あるがままのその人の美しさを表現するメイクも素敵。その人が想像したこともないような色を目元に乗せて、その人の可能性を広げるメイクも、大いなる自己発見を引き出す素晴らしさ。 そういうことはどれも心の癒しの仕事です。自分自身に対する制限や決めつけを一瞬にして外し、「どんな自分にもなれるし」「どんな自分でもいいんだ」という開放感、安心感、それを教えてくれたアーティストに対する信頼や感謝、と言ったものがあふれること。それは、間違いなく癒しの仕事ではないでしょうか。

でも、残念ながら、その癒しは長続きしません。メイクを落とせば“かつての”“いつもながらの”“昔からの”自分の顔が鏡に映るばかりなのだし、新たな落ち込みや不安や心配や、様々な問題が日常を囲んでくることになるかもしれません。だから、またメークする、違うメイクにしてみる、違うアーティストにやってもらう、ブランドを変えてみる、服を新調する、、、いろいろ試しながら、束の間の癒しを積み重ねていくことになります。不毛です。 病気を治すヒーリングや医学もまた、一度は治っても、病は舞い戻ってきます。身体のどこかに、支障はいつか再訪します。

けれども、癒しの仕事は不毛であってはならないと思います。不毛では癒しにならないからです。その不毛さに真っ先に気づくのは、メイクアップで言えば、アーティスト自身です。そして不毛ではない結果を目指すのも、アーティスト自身です。「癒す人」であるアーティストが癒しを信頼できないでいれば、メイクを施される人もまた、癒しを受け取れないでしょうから。

「癒されていないヒーラー」から癒しは受け取れません。同様に、メイクの限界に落胆しているアーティストからメイクの可能性に心躍らせることのできるクライアントはいません。 この世の安心、この世の喜び、この世の幸せ、、、そのすべては束の間のものです。嵐の季節はまた必ずやってきます。仕事の不毛、癒しの不毛に押しつぶされる前に、どうやってみても、誰がやってみても、結果は同じなのだ、不毛なのだ、という事実にまず気づきましょう。そして、その不毛さから脱出する道を見つけましょう。

そんな道はあるのでしょうか。お釈迦様は、人生は苦と病と死だ、と言いました。若いうちにはふんだんに分泌されるホルモンがあり、ホルモンに駆り立てられて恋愛やその他さまざまなことに我を忘れて没頭することができ、地位やお金や、はたまた美貌や教養などの豪華な額縁で自分を囲むこともできるけれども、いずれは、苦、病、死という人生の骨格だけが残されることになります。何もかもが移り変わります。一年のうち10日間ほど愛でられて、他はすっかり忘れられている桜の木と同様に、この世の春は、去っていくのです。それがこの世の法です。この世の、いわば秩序です。すべてのゴールは死、という秩序です。 ならば、そこから脱出するとは、この世の法から出るということに違いありません。この世のものではない、別の秩序の中で生きるということです。その秩序は、すべてにおいて、この世の秩序とは反対です。あらゆるものは永遠に続き、失われること、足りなくなること、などはあり得ず、いのちは、ただひたすら増えていく、広がっていくという秩序です。 そんな秩序はどこにあるのでしょう?

心の中をよく見れば、あります。身体に注目するならば、この世のゴールは死。心に注目するならば、そこに永遠が見出せます。

メイクの喜びは、顔の表面に現れる美しさと、心の喜びと驚きが滲み出る美しさ、癒しの喜び、その両方にあるのでしょう。私たちは日頃、このように、身体と心の両方を見ています。絵の中身と額縁とを眺めています。けれども私たちは、身体=額縁ではなく、絵=心だけに意識を向けることもできます。できるというより、そのように心の奥の魂は、私たちにそのように仕向けようと懸命です。パリのルーブル美術館にわざわざ出かけて、モナリザの絵の額縁を見てこようという人はいないでしょう。額縁専門家でないならば、ですが。 私たちは、自分自身の、そしてお互いの心の躍動、安心、信頼を求めています。額縁を外して中身を寄り添わせたい、中身を感じたいと願っています。 そんな、額縁のない世界が、永遠の愛の秩序の世界です。額縁=身体=メイクを施した顔は、愛の秩序に向かうための架け橋です。「これは架け橋だ」「架け橋をかける仕事だ」「まずは自分が、この精巧な架け橋を通って、この人(クライアント)の心と繋がろう」「繋がるところにお互いの永遠を見つけよう」と思えるならば、その人は、失敗のあり得ないヒーラー以外の何者でもありません。

Linque vol.76 (IBF国際美容連盟発行)


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