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59. ザ・ニューヨーク

寒い雨の日となったお彼岸に日本を発ち、日本よりさらに気温の低いニューヨークに戻ってきました。でもお天気はよく、空気は春のもの。日向を歩くと暖かく気持ちが良いのです。 そんな週末、午後から散歩に出かけました。日向を選びながら、南へ、南へ、歩いて行きます。 まずはバワリーストリートのICP(International Center of Photography)へ。 第二次世界大戦中の、日系人の強制収容所での、そしてそれにまつわる写真展です。 日本が真珠湾を攻撃した後、アメリカにいた日本人のほとんどが、強制収容所に隔離されました。 その時何が起こっていたか。日本人の日々はどんなものだったか。 戦後もJAPと呼ばれ、蔑まれ、畏れられ、二級市民として扱われていた日系人に、アメリカ大統領がついに謝罪をしたのは30年前でした。 この、学ぶべきことの多い、というより誰もがここから学ばなければならない日系アメリカ人の歴史は、あちこちで語られ、展示され、議論の場も設けられていますが、ICPの展示は、その集大成と言っていいものでした。 さすがに、すべてを網羅してはいませんが、膨大な写真と、写真をめぐる仔細な説明文が素晴らしく、また貴重なビデオインタビューもあり、時を忘れました。 写真のクォリティがまず、上々なのです。アンセル・アダムスの作品もあるし、特別にカメラを持つことの許された日系人写真家の作品もあります。どれも丁寧に、完璧にプリントされています。 被写体の日系人は皆、お洒落です。女性たちは カーラーやコテを使って髪を作り、そして男女とも、当然ですが洋装で、女性のパンツ姿も、男性のスーツ姿も、足元のサドルシューズも、誇らしげに見えます。日本人であること、アメリカ人になったこと、というような国境を超えて、生きる誇りがみなぎっています。だから皆、美しい顔をしています。これが人間の顔なのだ、人間は、このような誇り高い、美しい顔をしているのだ、と思わずに入られません。 かなりの時間を費やした後、五分くらいさらに歩いて、今度はWhiteboxというギャラリーを覗きます。 「大きな世界を求めて:日本人アーティストとニューヨーク 1950年代から現在」。 感覚の触手を四方に伸ばし、その指先であらゆるものに触れようとしている日本人が、ニューヨークの空気に触れたらどうなるか。ニューヨークで常に起こっているさまざまなハプニングに、そこら中を飛び交うさまざまな言語に出会ったらどうなるか。 その結晶を目の当たりにした展覧会でした。 ニューヨークに移り住み、ニューヨークの空気を大胆に吸い込み、ニューヨークの水を存分に飲み込んだ日本人アーティストたち、特に前衛の喉が鳴っているのが感じられるようなスペースが創られていました。 やっぱりね、と改めて思うのは、心オープンにして相手を受け取る時、必ず、自分もまた相手に大きな影響を与えているということです。 ニューヨークを貪るように受け取ったアーティストたちが、ニューヨークにも大きな影響を与えているのを目の当たりにできました。そのアーティストたちが、今や、世界に名が轟き、世界を舞台に活躍しているのが証拠です。 また、次々とニューヨークにやって来たアーティストたちが、すでにここに在住し、影響を受け取り、また与えているアーティストたちの仕事をニューヨークの空気として吸い込んでいるのもよくわかりました。そのように繋がり合うことが、深々と呼吸することなのだし、その呼吸が各々の生命を文字通り息づかせているのです。 ニューヨークに生きるとは、ありがたい、かけがえのないものです。ニューヨークにやってくる人は、自然を求めてくるのでも、生きやすさや安全を求めてくるのでもありません。「受け取り、与える」こと、そしてそのお互いへの影響を目撃して行くこと、それが目的です。ニューヨークは、そんな新参者を歓迎するのです。 この展覧会のキュレーター、佐藤恭子さんも、深く呼吸し影響を与え合うつながりの中で生きる人です。その結晶が、スペースいっぱいにありました。 ギャラリーを出ると、かなり低くなっているとはいえ、陽射しはまだありました。さらに南へ下り、チャイナタウンで食事。友達と、展示の感想など喋りながらビールも一本。食事を終えたら、とっておきのお茶を調合してくれる台湾人ローナのお店に寄り、リトルイタリーのイタリアン・マーケットに寄り、ソーホーの、友達のブティックに挨拶をし、、、そうやって、ブラブラと歩いて帰宅しました。 ブラブラ歩きは、わたしには稀なことです。貴重な午後です。この春は、もっとブラブラしようと思います。せっかく、ニューヨークは小さいのですから。たった半日、充実の時を過ごしてまだ日は暮れていないのですから。歩ける範囲にありとあらゆるものが在るのですから。 そう、ブラブラしているだけでいいのだと思います。眺めて、近くでよく観て、耳をすませて、心が嬉しがっているのを感じながら受け取り続けているだけで、影響を与え合う創造の力に参加していることになるのです。それが、生命を輝かせ、大事にすることなのだと思います。 このような週末の午後を、これぞニューヨーク生活、<ザ・ニューヨーク>と呼びたいと思います。


( 初出誌 Linque Vol. 60 発行 : 国際美容連盟 2018年4月 )




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