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52. 「?」と「!」

このところ、友人が始めたばかりのブログに刺激されています。第一回目からの熱心な読者です。熱心な、と威張るのは、何度も読み返しているからです。

毎日更新してくれればいいのに。おもしろいから。

と、最初は思っていたのですが、すぐに、ゆっくりペースを感謝するようになりました。いくつものエピソードを、ゆったりと、行ったり来たりするのが楽しいのです。

何のブログかというと、シンクロニシティについてのブログです。このブロガーが経験したシンクロニシティのエピソードを、ひとつずつ、ていねいに、分かち合ってくれています。

「三十年前に起こった出来事から、繰り返し起こる様々な出来事から得る「インスピレーション」をつないでいくといくつもの「シンクロニシティ」が起こっている事がわかって来た。」と、友人は、書いています。

シンクロニシティとは何でしょうか。その答えも、彼が懇切丁寧に示しています。

ひとつの経験があり、「なんだ、これ?」と思う。すると、「へえ!」という驚きがきます。「へえ!」がただちに来るときもあれば、何年も経ってからのこともあります。いずれにしても、「!」の気づきは、必ず「?」の後に来るのだなと、読んでいてわかります。

「わからない」「意味がつかめない」「何なの???」という思いが心にあることに気づくと、「ああ、つながっていたのね」というところに落とし込まれる感じでしょうか。

シンクロニシティとは、自分が今「わからない、わかっていない」ことに気づいたとき、さぁっと別な視界が開けること、とも言えるかもしれません。たとえば、機体が上昇し雲の上に出て、雨天の代わりに一面の陽の光に遭遇するときのように。そしてその「別の視界/雲の上の世界」は、なにもかもがつながっていて、別々に関係なく離れて存在するものはひとつもないところです。

ブログを繰り返し読んでいると、「?」「!」の組み合わせは、それらを包み込むさらに大きな視界に出る「!!」の序奏だったことがわかります。それはさらに「!!!」「!!!!」となって、その数、さて、どこまで続くのでしょう。十億桁でしょうか。十億とはつまり無限でしょう。

自分の今までを振り返ってみても、いくつもの「?」が重なるときほど、人生は大きく動き、視界が開けたと思います。「ああ、あのときのことは、このためだったのね」と自分を納得させていると、それをからかうように、さらなる何かがやってきて、「このためだった」などと結論づけようとすることの愚かしさを知らされたものでした。同時に、「わたしが生きている世界は、想像をはるかに超えてすごい」という、啓示のような思いに打たれ、その瞬間に心がしんと静まり返るという経験をしたものでした。

自分を納得させようとしているとき、つまり、わかっているつもりになっているとき、わたしたちは、「さあ、次はどこに行こうか」「何をすべきか」「誰と一緒にいたらいいか」などと考え始めます。まるで、生きるということが、この地上を、東西南北に奔走し、探しものを見つける旅のように感じられてくるのです。

でも、「?」を心に抱き、心の扉を答えに向かって開いているとき、「!」は、その場で、ここで、起こるということを経験します。どこかに駆けていったり、何かを獲得したりしなくても。

ブログには、いつも「?」が登場します。そしてたくさんの「!」がついてきます。でも、不思議なことに、「?」の書き手は、「?」を連発していながら、実は、全部わかっている、という感じなのです。経験してきた過去のことを書いているのだから、結果がわかっていてあたりまえ、ということではありません。なぜなら、「!」が来たからといって、結果がわかっているわけではないのですから。まだまだ「!!!!」は続くのですから。そして、このブロガーの心に「?」がないときはないのですから。

これは、「何これ?」とわからないままにしておくその心の状態には、必ず「ええっ!そういうことだったの!?」という経験がやってくるという鮮やかな例だと言えるでしょうし、また、「?」と「!」は実に、ひとつのものであって、このふたつの間にこそ、壮大なシンクロニシティがあるということでもあるでしょう。そして、心に「?」があるときこそ、宇宙の叡智につながっている、わからないと同時にわかっている、という状態が生まれるということでもあるかもしれません。それが、エピソードが進むにつれて、だんだん明らかになってくるような、でも、近づいたように感じても、それはいつまでたってもこの手にはつかめない、というような、実にスリリングな読者経験をさせてもらっています。

それにまた、そのエピソードを読んでいる時の自分と、そこに綴られているものとのシンクロニシティもたびたび経験します。ひとたび、そこに心を向けると、シンクロニシティでないものは存在しないということが、実感としてわかるのです。

シンクロニシティとは、奇跡そのもの。わたしたちにとって、実は、いちばん自然なもの。本来の、自然な状態を、嬉しい経験、驚きの、ときに、しんと静かな、宝石のような経験として実感していけるこの人生とは、偉大なものですね。そしてその偉大さを、誰とでも分かち合えるということは(誰とでも? そうです。だって、すべてがシンクロニシティなのですから)、なんという恵みでしょうか。

「わかりません。教えて」という気持ちを持つには、でも、勇気がいるかもしれません。わたしたちはわからないものを怖がる習性があるから。わからないでいるよりも、今すぐここで把握し判断し行動したいと急いてしまうから。でも、わからないものとは、実は、ただひとつしか存在しないのです。それは、ほんとうの自分自身、まだ見ぬ自分の自然な姿です。

そのブログのタイトルをご紹介しておきましょう。「三千大千世界を生きる私へ」。

人生の喜びを十億桁に増やすシンクロニシティの経験になるかもしれません。


( 初出誌 Linque Vol. 53 発行 : 国際美容連盟 2016年7月 )

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