毎年紅葉の季節になると、ドライブに出かけたくなります。 アメリカの樹木は巨木が多いので、木立の中を走っていると、それはゴージャスな秋の花の海のなかに浮かんでいるような錯覚に陥ります。樹々の色づきを楽しみながら走り、山を歩いて週末を過ごすのが、毎年の秋の行事になっています。マンハッタンから一、二泊で旅行するのに適当な場所はいくらでもあるのですが、評判のいい宿は一年前から予約しておかないと泊まれません。紅葉鑑賞は温泉とセットになって日本人の専売特許のように思われがちですが、ニューヨーカーはほんとうに秋が好きなのです。好きな季節を聞かれると、わたしの答えはずっと夏でしたが、秋を好む周囲の影響で、年々秋に魅せられるようになってきました。 出かけるときにエレベーターを降りていくと、入り口のロビーが華やかに明るいので驚いてしまう。そんな日が毎年十月の末頃にやってきます。向かいの公園の樹々が色づいて、その赤や黄の葉が照り返す光がビルのなかに差し込んでくるからなのです。 秋は陽射しが浅い角度で地上に届きます。すると光はオレンジ色を帯びるようになります。そうでなくても十月はハロウィーンのオレンジが街のあちこちを飾りますし、樹々の色彩のあでやかさも加わる上に、Tシャツから秋の服に着替えた路上の人々もさまざまな質感、色味を楽しませてくれますから、ぎらぎらした真夏より、街はよほど華やかなのです。 アメリカの樹は紅葉しても決して枯れないのねと言った友人がいますが、確かに、色とりどりの落ち葉を拾うと、まだしっとりと生きているのがわかります。 わたしは毎年押し葉を作って、そのなんということもないコレクションを楽しんでいるのですが、一昨年、黄色と赤のツートーンに染まったカエデの落ち葉を、本の間に挟む代わりに、水に挿してみました。 すると、葉の付け根のところから新しい芽が出てきました。その芽が伸びて細い、新しい茎になり、そこからさらにいくつもの芽吹きがありました。落ち葉はいわば、ご老体ですから、発根剤や栄養剤は使わずに、純粋な土に挿しておきました。二年たった今、無事に根づいてゆっくり育ち始めています。元々の二色の葉っぱはとっくに枯れてはがれ落ちていきましたが、最後の滋養を絞り出して新しい芽を「産んだ」その力に、頭を垂れる思いでした。 神は細部に宿ると言いますが、生命は至るところで力を発揮していると、つくづく思います。落ち葉一枚に、芽吹きと発根の生命力がある。わたしたちひとりひとりがどれほどの力を持っているか、推して知るべしです。 たいていの人生の問題、心の問題は、持って生まれた力を上手に使い切れていないというところから来てきます。力不足ということはないのです。力はある。使い方をはっきり定め、つまり「しあわせに生きる」と思い定めていれば、芽も根も自然に伸びていくということです。
(初出誌 Linque Vol.5 発行:国際美容連盟2004年12月)
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