1年ぶりに帰国したら、自主隔離期間が昨年よりずっと厳しくなっていました。厚生労働省から一日5回のチェックがアプリで入り、その中には、「マスクをとった顔を写して部屋の中も見せてください」というビデオ通話もあります。朝の8時前から夕方6時過ぎまで無作為に入るので、近くのコンビニまでの外出もままなりません。ちょっと外に出るだけで、「すぐに指定の場所に戻りなさい」と警告が入ります。「今すぐ今日の健康状態を送信してください」というのも入ります。なかなかプレッシャーを与えるシステムになっていて、これが、私たちが帰国を渋る理由の一つになっています。海外旅行も躊躇なくできるようになるのはいつのことでしょうか。
そんな隔離の日々のある日の朝刊で、パウエル元国務長官が亡くなったことを知りました。
最近訃報が続くせいか、涙腺が緩んでいます。でも何よりも、私はパウエル氏が好きだったのです。個人的に存じ上げているわけではありませんでしたが、一アメリカ在住民として、応援し、晩年の健康を陰ながら祈っていました(考えてみれば、自分が住んでいる国の要人に心から祈りを捧げられるというのは幸せなことですね)。
アメリカ国軍はかつて、白人のみの組織でした。それが、人種や出身国を問わないという法律に変わってまもなく、入隊した方です。ジャマイカ移民の息子でニューヨーク生まれ。私だけでなく、彼の動向をよく見つめ、彼の発言に耳をそばだてていた人は多かったはずです。日本でも、孫正義氏が「尊敬するリーダー」としてパウエル氏を挙げていらっしゃいました。
そのパウエル氏、大きな間違いを犯しています。イラク戦争を引き起こすきっかけを作ってしまったのです。サダム・フセインが大量破壊兵器を持っている(実は持っていなかった)という情報を、最後まで疑っていたパウエル氏でしたが、CIA長官からの「確実な筋からの確実な情報」という明言を、当時の大統領が信じ、大統領を取り巻く他の全ての人が信じ、パウエル氏が最後の一人に残り、そして、ついに信じざるを得ない状況となって、そのままを国連で発表してしまったのです。
確実な筋というのは、もちろん諜報機関のことで、情報提供はスパイによってなされます。その“筋”にも間違いがあるのです。
パウエル氏は後になって「私は大きな間違いを犯した」と何度も話し、深い後悔を表明していました。
そのパウエル氏の訃報です。政治的意見を異にした人たちも含めて、大勢がその死を悼みましたが、それを猛烈に批判した海外メディアも少なくありませんでした。曰く、「人々を戦争に巻き込み、大勢の命を奪う過ちを犯した人間をゆるすのか」。曰く、「まるで英雄視しているようじゃないか」と。
どう考えますか? 過ちは誰にでもあります。「でも、ロイヤルコペンハーゲンのカップを誤って割るのと、戦争を仕掛けて大勢の人を殺傷するのではわけが違う」と言うでしょうか? ならばどこでその「わけの違い」の境界線が引かれるのでしょうか?
ゆるせない、と思うとき、その心の中心に居座っているのは、どんな信念なのでしょうか。
ゆるせないのは、ヒトラーやスターリンだけではないかもしれません。身近な家族、大事なパートナー、親友たちをゆるせないと感じることもありますよね。
パウエル氏に続いて、私にとってとても大事な人の訃報が続きました。『奇跡のコース』を世に出して、その教えを正しく世界に伝えるために生涯を捧げた人です。
その人、ジュディス・スカッチ・ウィットソンが若い頃、ジェラルド・ジャンポルスキー氏と出会い、仲良くなりました。仲が良ければ喧嘩をします。カッと頭に血が上っているジュディスは、『奇跡のコース』の仲間、ビル・セットフォードに電話をします。若い女性が、いかに相手に非があるか、若い女性(とは限らない?)が、いかに相手が“わからずや”であるかを友人に聞いてもらわずにいられないのは、世界共通のようです。この話を、私は以下のように聞きました。延々とまくし立てるジュディスに、ビルは静かに言ったそうです。「ジュディ、『奇跡のコース』で学んでいることを思い出そうよ」「君は、相手の“罪のなさ”を見たいの? それとも彼を罪人に仕立てたいの?」。
それが『奇跡のコース』が教える真実です。誰もが過ちを犯す。けれども、誰一人、罪はない。過ちを見たのは自分自身なので、過ちを見た自分を訂正すれば、相手の“非”は消滅します。相手は自分の心の鏡だからです。「自分は不十分。相手も不十分」という信念(私たち全員が持っている根深い信念)こそが、「ほらやっぱり!ダメじゃない!」という証拠を作り出すのですね。
その証拠を見ている最中、私たちを貶めようとするエゴは、それこそワクワクして喜んでいますから、「罪のない兄弟を見る」「自分も相手も完璧」と、心の初期設定を変更するなどという提案には耳を貸すはずがありません。ジュディスがおさまるわけもありません。その時、ビルは「でも、そうすれば君の気分はずっとよくなるよ」と言って、電話を切るのです。
ゆるしたくない、相手の罪をなんとしても非難し続けたい、という衝動は、遠くの国のリーダーにも、親しい人にも湧いてきます。私たちは、“ゆるせない”人を日々作り続けることで、自他の“足りなさ”“不確かさ”“恐れ”をなんとかして保とうとする摩訶不思議なことをしているのですね。
ジュディス・スカッチ・ウィットソン。享年90歳。彼女は、若き日、ビルに言われたことだけを実行し生きました。彼女にとって、見知らぬ人、足りない人、などは存在せず、彼女と会う人は誰もがその家族の一員のように迎えられました。彼女は誰の足りなさも見ない。そうすることで、私たちを確かに癒し、また、過ちを訂正する機会を与えてくれました。今、私たちは、「私はあなたです。あなたが完璧な家族の中で生きる時です」と彼女に声をかけられているのが確かに聞こえてきます。
( 初出誌 Linque Vol.74 発行 : 国際美容連盟2021年11月)
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