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執筆者の写真Yasuko Kasaki

50. 日本もニューヨーク化?

ここ一、二年の間、日本に帰国するたび、あれ? と思うことがありました。はじめのうちは、小さな“はてなマーク”。だんだんマークが大きくなって、2015年の秋は、ついにマークは、“?”ではなく、“! “になりました。

いちばん初めに、何に驚いたのか忘れてしまいましたが、それはたぶん、道を歩いていて、または電車に乗っていて出会った、ちょっとした無作法、またはぞんざいさ、というものだったかもしれません。ニューヨークではしょっちゅう行き合う無作法であり、ぞんざいさなのですが、日本でそういうものに遭遇すると、自分が反応しているのに気づきました。日本人は、または日本社会は、概ね、丁寧さ、礼儀正しさ、相手を敬う気持ち、といったものが全体に行きわたっている、という記憶が、わたしのなかにあります 。 “おもてなし”と呼んでいるものです。(ちなみに、英語ではホスピタリティと言います)若い世代の人たちの流儀が変わってきているのかと思いましたが、どうも年齢とは関係ないようです。老若男女に差がないようなのです。やがて、それが、流儀の問題ではないと気付きました。ちょっとした驚きは、路上や車中だけでなく、至るところで起きるようになりました。といっても、わたしが短い滞在中に接する日本社会とは、店で買い物をするとか、配達の人とやりとりをする、または実家の風呂釜の修理を依頼する、といった小さなものなのです。そしてそのような場で、心ここにあらず、ちゃらんぽらんさ、投げやりさ、さらには、ずるさ、といったものを目にするようになりました。

そのうち、正社員雇用率60パーセント、という記事が新聞のトップページに載りました。企業の経費削減で雇用率が低くなれば、たった今得ている仕事が以前に増して大事になるだろうと想像できる反面、「自分は関係ない」という思いが生まれる可能性はあります。そのような思いは、目先のことにばかり意識が行き、ビジョンを持って、つまり愛を持ってコトにあたることができません。わたしが目にしたのは、そんな状況だったような気がします。一方で、与えられた仕事以上のことをしている人たちにも大勢出会うようになりました。会社のやり方だから、決まりだから、というのではなく、仕事を通じて精一杯のサービスをしようとしている人たちが、どの職場にも、いるようでした。デパートにも、小売店にも、個別訪問をするセールスマンにも、情熱と思いやりと誠意を傾けている人たちがいました。まるでニューヨークのようなのです。ニューヨークでは、「⚪︎⚪︎社を代表して、、、」という姿勢にはあまり出会いません。「お客様は神様」という姿勢にはまったく遭遇しません。どこでどのような要件、形の接触であろうと、こちらが“お客様”であろうと、誰もが、一対一の個人と個人の関係を見ています。「わたしは一個人として、あなたという一個人と、今、話し合っています(商談しています/交渉中です/サービス中です/商品お勧め中です)」これが、駅の売店でも、航空会社のチェックインカウンターでも、警察署でも、病院の受付でも、医者のオフィスでも、銀行でも、共通して見られる姿勢です。「あなたは⚪︎⚪︎銀行の行員なんでしょう。顧客であるこちらの面倒を見てくれますよね」という態度で接しても、コミュニケートはとれません。服一枚買うのでもそうですし、医者の診察を受けるときでも、しっかりこちらの“精神”を見せて、人と人の関わりを求めなければ良い関係は築けません。日本では、今まで、このような“疲れる”ことはしなくて済んでいたように思います。何もしなくても、こちらは神様でいられたのです。ところが、日本にも“神様”はいなくなり、何をするにも用心が要り、お互いに信用を確立する努力が要り、コミュニケートする意思を見せ合うことが要求されるようになってきたと感じます。ますます投げやりになる中途半端な仕事人が増え、同時に、職務以上のことをやる仕事人も際立ってきたとも感じるのです。

わたしは、前回の帰国中、ニューヨークでしかやったことのないこと、日本では思いもつかなかったことを、初めて、行いました。良いサービスを受けたとき、手を煩わせて特別な計らいを引き受けてもらったとき、ちょっとした思いやりが嬉しかったとき、それからデパートのお掃除係の人の、働きぶりに心打たれたときも、わたしはその企業のホームページを開いて、そのことを伝えるメールを打つ、ということをしたのです。多忙な日々のなかでわざわざそんなことをしたのは、企業の名前に寄りかかって生きるのでないならば、皆が心で生きる、心を見せて生きる、心と心を合わせて生きる、ということをする道だけが残されていると思うからです。そして、積極的に相手とつながる心で仕事をし、共に物事を進めていく社会に加わりたいならば、自分の心のあり方を選ぶための行動を起こすことが大事だと感じられたからです。

以前、とっても良心的なニューヨークのタクシードライバーが、こう言いました。「みんな、文句があるときだけ、社に電話して苦情を言うんだよね。褒めるために電話するやつなんていない」。確かに。わたしはその日、タクシー会社に早速電話し、そのドライバーのナンバーを伝えて、感謝を伝えたのです。電話をとった担当者は、とても喜んでくれました。その後は、良きにつけても悪しきにつけても、電話で伝えるのが、ニューヨーカーの義務のようになっていたのです。これからは、わたしは、日本でもそれを続けていくことになると思っています。


( 初出誌 Linque Vol.51 発行:国際美容連盟2016年1月 )

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