アラン・トゥーサンと言えば、ニューオーリンズ・ミュージック。そして、“ピアノの神様”。 亡くなる少し前にコンサートに行く機会を得ました。場所はマンハッタン、ダウンタウンの「シティ・ワイナリー 」。ニューヨークに数あるディナーショー形式のライブハウスの一つですが、その名の通り、ワインが売りで、アメリカのあちこちに葡萄園を持ち、独自のワインを作っている他、「あなただけのワインを作りませんか」と呼びかけてもいて、店の地下には、個人名の入ったワインの樽が大事に寝かされている部屋があります。ワインはともあれ、このような形式のコンサートの良さは、かぶりつきで観られるということに加え、スタージが上がると、ミュージシャンが店内に現れて、話をすることもできるし、ひょっとすると、一杯ご一緒できることもある、ということでしょうか。スタジアムを満席にする大物が来ることも少なからずあり、また、“往年の”と言ってしまっては失礼に当たる マリアンヌ・フェイスフルやジェームス・ブラッド・ウルマーなど、共に同じ時代を生き抜いてきた客たちと様々な思いを一つにして盛り上がっていくのがまたスリリングです。全員の思いがアーティストを励まし、刺激し、もっといける、もっともっと!というエネルギーになるのです。ステージと観客の区別がないところが、ニューヨークのライブハウスの特徴です。もう20年も前、『ラストタンゴ・イン・パリ』の音楽で知られるガトー・バルビエリが、演奏後ステージのすぐ前に陣取っていたわたしたちのグループに歩み寄り、「ねえ、あの三曲目のテンポ、どう思った? 少し変えてみたんだけど、どうなのかな?」と、まるでプロデューサー相手にきくように話しかけてきました。その境界のなさ、対等さ、オープンさに、胸の中がふわりと膨張して、心のドアが全開になったように感じたものです。
世界中をツアーしているアラン・トゥーサンが久しぶりにニューヨークに来るというのに加えて、「もしかしたらこれが最後かも」という予感が皆の中にあり、 チケットは即完売でした。およそ三百席、 立ち見客もかなりいて、その客層は、老若男女さまざま。 アラン・トゥーサンは、休みなく、そして時に、これでもか、というスピードで鍵盤を叩き続け、また、撫で続けました。旋律は心の襞を滑らかに、あるいはギザギザと通り過ぎてゆき、彼と共に、会場の全員と一緒に、宇宙を旅している感覚に入って行きます。食べたり飲んだりしながら耳を傾ける、などという類の演奏ではないのです。全身全霊で向き合うしかなく、その場の全員がそうなので、ますますそのエネルギーは高まっていくのです。 彼は2005年にニューオリンズでハリケーンに被災し、しばらく精神的に音楽活動ができなくなりました。そこからの復帰です。その回復の力が、どの音にも均等にくまなく込められていて、客は皆、ワインどころか息を飲み込むことすら忘れているかのようです。 彼はきっちり一時間、ピアノから手を離しませんでした。それから水を飲み、ピアノに手をついてゆっくり立ち上がり、休憩告知をするのかと思ったら、
「さて、誰かここで弾いてみたい人いない?」
そんな“ピアノの神様”からの呼びかけに、あちこちのテーブルから一ダースほどの手が上がり、仰天してしまいました。三百人の中に、アラン・トゥーサンのステージで、アラン・トゥーサンの客の前で演奏してみせる勇気、さらには、震えるほどの演奏の後を引き受ける自信のある人がこれほどの割合で存在するとは。 そして私たちの隣のテーブルでは、若くて髪の長い、ほっそりした、若いアジア人女性が、仲間に背を押されています。本人はダメっというジェスチャーをしているのに、周りが、やれよ、やれよ、と熱心に声を上げています。 アランがその様子を見つけて、すかさず、「君、上がって」。彼女は、観念したようにステージに出て行き、アドリブで弾き始めました。 次の瞬間には、ブラボー! ブラボー!の嵐。彼女の演奏の高度なテクニックはもとより、その味わいの豊かさに、ステージ脇の椅子に腰を降ろしていたアラン・トゥーサンが一番驚いたのかもしれません。彼は目をまん丸に見開いて、シャキッと立ち上がり、しばらく彼女の音楽に身を浸し、そして、やおらピアノに近づくと、彼女の隣に座って、2人で即興の連弾を始めたのです。またしても、速い、速い、速い!強弱の波は激しく、またなだらかに。彼女も全く負けていません。2人は完璧に調和しています。会場は、もう熱狂の渦。
どの分野でもニューヨークはとにかく才能の層が厚い、ということを、ずっと目撃し続けてきました。カーネギーホールで演る人だけが成功しているのではなく、ブロードウェイに出る人だけがアメリカンドリームを体現しているのではないのです。どんな小さな場所にも成功者はいて、そこで誰かの心のドアを開け、共に宇宙を旅しています。それができること、それを楽しみ、大事にし、誰とでも共有する気前の良さがあること、才能を誰かに与え、受け取ってもらうこと、それがニューヨーカーにとっての成功なのです。成功者は、そのように成功することによって、成功を人にも手渡し、増やしていくものなのです。コンサートの観客となった私たちも、その成功を受け取って、成功者の心を胸に抱くことで、自らも成功者となるのです。つまり、人生に祝杯を挙げることができるのです。
アドリブ演奏を終え、拍手の中を恥ずかしそうにテーブルに戻った彼女の声を耳にして、日本人とわかりました。話しかけると、Yokoさんというお名前を教えていただきました。もっと彼女の演奏を聴きたいと思ったら、 今は演奏活動よりも、ご病気の妹さんを想い、祈り、有機野菜を育てることに専念している、と言うのですが、それでも未練がましく、わたしはグーグルで調べてみました。なんと、ニューヨークの同名ジャズピアニストが、ずらずらと出てくるではありませんか。やはりニューヨークの才能の層は厚く、成功者は大勢いるのでした。
( 初出誌 Linque Vol. 59 発行 : 国際美容連盟 2018年1月 )
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