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68. この世を超えた法則

コロナ禍の初期、アメリカ人の友人がフェイスブックにこんな投稿をしました。 『想像してみて』 あなたは、1900年に生まれた。 14歳で、世界一次大戦勃発。 18才の誕生日までに、世界で2200,0000人が死亡。 そしてすぐに、スペイン風邪が流行り、20歳の誕生日までに五千万人が死亡。たった二年の間に。 そして29歳の誕生日には、世界大恐慌が起こり、失業者全人口の4分の1。それが33歳まで続く。 39歳の時、第二次世界大戦勃発。 45歳になるまでに、7500万人が死亡。 50歳で朝鮮戦争。500万人死亡。 55歳でベトナム戦争。20年間。400万人死亡。 62歳、キューバのミサイル、東西の冷戦、 75歳でやっとベトナム戦争が終わる。 1900年生まれというのは、日本では明治33年です。世界中の1900年生まれがこのすべてに翻弄されたわけではないでしょうけれど、全人生にわたって、世界はこのような激動/激震の最中にあった、「それが人生というもの」「社会というもの」「生きるということ」だった、という人が、およそ16億人いたということです。 人ごとではなく、その内の誰かの生まれ変わりが自分かもしれないですね。そして、感染症と失業と差別、といったことを、「まただな」「お馴染みのやつだな」と受け止めている魂がいるのかもしれないですね。 今の世界を生きる私たち、自然災害やウィルスの蔓延にさらされている私たちは、ただ、古今東西の人類の営みに参加しているだけ、なのですね。 身の回りに何事も起きていないように見える時は、「この世界は素晴らしい」と感じ、「もっと、もっと」と欲望が膨らみます。この世界は、どこまでも良きものを提供してくれる器だと勘違いしてしまいます。 でも、この世界は基本的に『禍』でできている、という認識を受け入れるなら、その世界の中に、ではなく、そうではないどこかに、ほんとうに拠り所とできる、揺るがないと確信し信頼できる、平安の場所を探すしかありません。だから、人間はいつも、誰かと特別な関係を結ぼうと必死になる、それをなんとしてでも繋ぎ止めておこうとする、または自分に合う宗教を見つける、はたまた「これだけは信じられる、裏切らない」と思える自分にとっての“神”(=絶対)を見つける、ということを、ずっとしてきたのですね。それもまた、人類の営みです。 人は、その立ち位置によって、さまざまな形で“禍というこの世界”を経験し、その時々の環境によってさまざまな方法で“信頼できる絶対の不変”を求めてきたと言えます。そして、どこでどの道を歩もうと、そこで見つける絶対=この世界を超えた絶対的素晴らしさ、生きていてよかったとほんとうに思えるものはある、それも“必ずある”ということを、わたしたちは教えてもらっています。たぶん、多種多様な物語によって。映画や文学や美術や舞台芸術、ダンス、そして音楽などによって。そして何よりも、日々の生活で時折スパークする経験の中で。 それは、一言にすれば、愛、というもの。逆から言うなら、愛とは、この世を超えたもの。 わたしたちは、今改めて、この世に安住を求めても無理だと自分は知っていること、この世を超えた愛こそを求めているのだということを思い出していると感じます。 愛とは、つまり、この世の法則には当てはまらないものなのです。 この世の法則とはこういうものです。いのちは儚い。愛は移ろう。与えれば減る。弱肉強食。自分にとっての幸福と他人にとっての幸福は違う。不公平。人は結局エゴの生き物。幸福を掴む能力のある人とない人がいる。その他いろいろ。 ならば、この世を超えた法則とは、いのちは永遠、愛は不変、与えれば増える、あらゆるものは平等であり対等、自分の幸福と他の人たちの幸福は、同じであり、ただひとつ、人とはエゴの存在ではなく、愛のスピリット、利己的でも利他的でもないただひとつに繋がりあった魂である、ということでしょう。 そのような目でこの世界を眺めるとき、ひとつひとつの禍の奥に、愛の法則が透けて見えてきます。禍とは、その視線を思い出すためのアラームにすぎません。 アメリカの億万長者は、「いったん巨額の資産を築くと、この世に起こる何事にも影響されません」と言います。ニューヨークの富裕層は、感染者数が上がる前にさっさと別天地に去って行きました。リモートワークをするわけにはいかない職種に携わるワーカーは、感染リスクを冒しながら通勤し、三密を避けられない住環境の人たちは、家族に広がる感染に何の対策も取れずにいます。これがこの世界の縮図です。いつもは曖昧になってぼやけて、「そんなふうに思いたくない」とごまかしたままにしておけるかもしれない世界のリアリティです。 でも、それを超えた愛の法則は、世界のどこにいても、自分自身の中に変わらず存在しています。誰もが同じように感動し、救われた、と感じられる愛の経験ができる、そのように平等な存在だから、わたしたちはこうして生きて、愛のスパークを分かち合える、人生を愛することができるのだと思っています。

( 初出誌 Linque Vol. 69 発行 : 国際美容連盟)



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