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執筆者の写真Yasuko Kasaki

37. かけがえのない批評家を持つこと

前回のこの欄で、独学でダンスコンテストに合格するまでに至った青年のことを書きました。 その青年のステージ上の姿を、ビルの入り口の、ドアマンの机上の、小さいテレビの画面で見かけてから、先日やっと、何ヶ月も足を運べなかった同じ場所に、同じ時間に立つことができました。 ドアマンは、同じ人で、テレビの画面には同じ番組が映っています。ただ、その日は、ドアマンは携帯電話でイライラしながら話をしていて、テレビに見入るどころではない様子。それで、その後のコンテストの概要を尋ねる機会を失ったまま、けれどもじゅうぶんに図々しく、彼の代わりに、番組をしっかり見届けようと、わたしは彼のすぐ隣に立って(机の向こう側にまわり込んで)画面を覗き込みました。 数分観ていると、状況がわかってきました。わたしが観た番組の後、ラスベガスでさらに審査が進み、出場者はさらにふるいにかけられ、16人のベスト・ダンサーが、今日、集まっているのでした。 その中に、例の青年はいませんでした。画面は、これまでの審査の様子なども映すのですが、それによると、ベストダンサーに選ばれるには、ストリートダンスができるだけでは歯が立たない感じ。あらゆるタイプのダンスで評価されるらしく、その一例が、その日の審査でした。残った男女半々の16人は、ペアを組んで、デュエットで踊らなければなりません。おそらく制作側によるペアリングであり、プロフェッショナルの振付師がついての創作モダン・ダンスです。 わたしが観はじめた時には、ちょうどバーレスクの格好をした女性が、昔のヨーロッパのキャバレーの踊り子が、客の男性に媚を売っている(けど、ほんとうはほんものの愛を求めている、といった感じ)二人が、スピード感と、しなやかさを見せながら、ダンスを終えるところでした。審査員から、「君(彼のほう)は文句なし」」「君(愛らしい若い女性)は、ソロのときはもっと自由でもっとコケティッシュだった。デュエットになったら、ステップを正確に踏んでいる、という域から出ていない」「相手を怖がるな」「人間を怖がらずに愛しなさい」と、厳しくも、深いお言葉が出ました。続いて、 孤独な男女がお互いを求めながら、拒絶し合い、争い合ってしまうストーリーが始まりました。ダンサー紹介とともに、練習風景のビデオが流れましたが、そこでは、振り付け師から、「あなたは、恋に堕ちる自分からまだ目をそむけてる!」「もっと深いところまで降りていきなさい!」等の言葉が飛び、二人ともが、その言葉に叱咤されてどんどん感情を出していくうち、ついに、振付師を含めた三人ともが、感極まって泣き出してしまいました。その本番舞台は、賞賛の嵐。ただ、女性の顔の表情に、小さなクレームがつきました。そして次は、今まさに亡くなる父親と、その娘のダンス。「二年前に亡くなった私自身の父親を思い出して・・・」と絶句した審査員もいれば、「君(彼のほう)のお父さんはどんな人? 君はお父さんが好きか? 近い関係なのか?」「なぜ聞くかというと、君は、父親の、娘に対する思いに、今一歩踏み込んでいないと感じるからなんだ」「トップダンサーというのは、華麗に踊り、完璧に身体をコントロールできるだけじゃだめだ。自分の心をつなげなきゃ。つながらなければ、観客の心につながるわけがないだろう」

どのカップルも、それぞれの動きは、わたしの目にはこの上なく正確、優雅、かつ表情たっぷりに見えます。どの舞台に出しても恥ずかしくない出来。目の肥えたニューヨーカーたちの目にさらされても堂々としたもの、と映りましたが、彼ら自身が一級のダンサーである審査員たちは容赦しません。 わたしは、この審査員の批評を、宝物のように聞きました。ダンサーたちは、なぜ練習を積んできたのか。なぜコンテストに出るのか。そのほんとうの答えは、真の批評を聞くためではないかと思いました。大事なところを見抜いてくれる批評家。心のドアを、もっと押し広げるために真剣に手を差し延べてくれる批評家。 つまり、一流の批評家に出会うための努力だったのではないかと。 ストリートダンスの青年は、このコンテストから、どのような批評を持ち帰ったでしょうか。仲間たちとはまた別な、ひとまわりもふたまわりも大きな世界からの愛情たっぷりの批評の声を聞き取ったのではないでしょうか。

わたしたちは、誰もが、優れた批評家、愛の目で見てくれる批評家を、人生途上で探し求めているのかもしれません。そのような批評家となれる友をこそ、求めているのかも。 ならば、今、目の前にいるその友、あるいは家族に、かけがえのない批評家となってもらいたいものです。自分に近しく、よく知っているはずのその彼に、彼女に、容赦なく、真実を伝えてもらいたいものです。 そのために、どうしたらよいかは、わかっています。彼らに変わってもらうのではなく、この自分が、彼らにもっと心を開き、心をゆるし、彼らを恐れず、疑わず、彼らの尊さとあたたかい気持ちを信頼するということです。

ひとりで何かを成し遂げようとするのは不可能なのです。お互いが、誠意ある批評家となり、心を開くための手を差し延べ合って、一緒に、「ああ、こんな素敵な世界があったんだ」という場所にたどり着く経験を重ねたいと思っています。

(初出誌 Linque Vol.38 発行:国際美容連盟2012年10月)

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