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32.「わたしは、あなたです。」

執筆者の写真: Yasuko KasakiYasuko Kasaki

いつでも、どこでも、同じ文句を繰り返していればよいわけではないのが、自己紹介です。自分という存在はひとつでも、わたしたちは、TPO に合わせて、ひとつの自分を、異なる角度、異なる言葉で表現しようとするものです。

ワイン・テイスティングのクラスの最初の自己紹介で、わたしはホラー映画が大好きです、とは言わないのではないでしょうか。去年フランスに旅行してワインがすっかり好きになりました、などと始めるのが妥当でしょう。もちろん、ボルドーの赤とアメリカのホラー映画がなにより好き、という組み合わせはあり得るし、同じ趣味のクラスメートが存在する可能性だってあります。さらにもうひとつ、葉巻という趣味を加えると、その三点で結ばれる友人の輪は、思いのほか広がるかもしれません。

たとえば今、わたしはどのようにみなさんに自己紹介すればよいでしょうか。何をどこから話せば、わたしという人間と人生をわかっていただくことになるでしょうか。

わたしは今、ニューヨークで、ヒーリング/コミュニティ・センターを経営していて、カウンセリング、ヒーリングのセッションやクラスを行っています。25年前は、わたしは日本にいて、オートバイに乗って国内外を走りまわっていました。そのまた25年前は、気管支ぜんそくという持病のある、ひ弱な子どもでした。

喘息。オートバイ。ニューヨーク。

わたし自身を紹介するとき、たとえばこの三点をキーワードに使うことができます。

「わたしは、夜中にしょっちゅう喘息の発作を起こし、からだを丸めて、息ができない、胸が苦しい、と涙を流しながら、酸素吸入器を口に押しつけていた子どもだった。長じて、丈夫になり、ふかぶかと呼吸をすることができるようになったばかりでなく、オートバイで走り回り、風を全身に感じ、山、川、海の濃密な空気をぞんぶんに吸い込む日々を歓喜して過ごすようになった。そしてさらには、ニューヨークに飛び出して、より広大な世界の様相を眺めながら、その世界をもっと深く吸い込みたいと、無我夢中で学ぶようになった。とにかく、楽に、自由に、息をしたかった。それが、わたしのこれまでの人生です。」

あるいは、こんなふうにも語れます。

「オートバイを乗り回したり、ニューヨークで自由に好きな仕事をしていても、わたしのなかには、今も、息絶え絶えで苦しがっている幼女がいて、身体から解放されたい、もっと伸び伸びしたい、もっと胸を思い切り広げたい、と泣きむせんでいる気がすることがある。窮屈だ、まだ何かに縛られている、破れていない殻がある、と感じることがある。もっと自由な空気を、という飢餓感は、今もまだ消えてないみたい。」

このように、同じキーワードを使っても、物語の感触は違ったものになるし、それにまた、他のキーワードを選ぶなら、わたしの物語はもっと多彩で異なったものになり得るでしょう。結婚•と離婚•、書くこととヨガ、ローリング・ストーンズと恋。英語と『奇跡のコース』。イタリアのアッシジと南の島々。その他いろいろ。

そのどれにも嘘はないけれども、どれもわたしという存在を丸ごと表現していることにはなりません。つまり、わたし自身の物語というのは、どんなふうにも構成できるし、どんなジャンルにでも仕立てられるし(コメディ、悲劇、喜劇、冒険もの、恋愛もの、成長もの、因縁もの、怨恨もの、等々)、語り手のわたしは、それを笑い飛ばすことも、自己憐憫にひたることもでき、しかし、どのように語っても、余すところなくわたし自身を表すことはできないのです。ほんとうに、じゅうぶんに、わたしを、あなたに、わかっていただくことは、不可能ではないかと思うのです。第一、どんなふうにでも語れそうな存在、そんなあやふやな存在であるならば、その存在がさまざまに語る物語のどこに、確かなもの、これだけは、と信じられるものを見つけることができるというのでしょうか。

しかも、語り手であるわたしが、揺れ動く視点で自分史を振り返っているというだけでなく、語られているあなたのほうもまた、あなた自身の経験やものの見方で、わたしの物語を「判断」「解釈」なさるでしょうから、あなたの心に残るわたしという存在は、わたしの、語るときの視点、あなたの人生観、という二重のベールの向こう側で、輪郭さえぼやけたまま漂うばかりということになります。

この、どんなふうにも語れそうな、わたしというあやふやな存在、心もとない存在にも、はっきりしていることが、あります。それは、「わたしが、幸福でありたいと願っていること。自分に何かしらの力があるならば、それを使ってみたいと望んでいること。そんなふうに思えなかったこともあるし、人生に意味なんてないんじゃないかと思ったこともあったけれど、それでもへこたれずに今ここにいるのは、わたしのなかに存在する、精一杯生きたいという力がわたしを生かしてきたから。」

これだけは、わたしに関する揺るぎのない真実であり、他の語り方には変更不可能なものなのですが、どうでしょう、これは、あなたにとっても同じではないでしょうか。わたしにとってほんとうのことは、実は誰にとってもほんとうのことなのでは? ということは、いつでも、どこでも、自己紹介の基本になっているものは、

「わたしは、あなたです」

という、簡潔なひとことなのかもしれません。


(初出誌 Linque Vol.33発行:国際美容連盟2011年6月)

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